ポロナイスク (Poronaysk)
日本統治時代 (1905年 – 1945年) の敷香町にあたる. 日本統治時代の詳細についてはそちらを参照のこと.
ポロナイスクは、サハリン中南部の東岸に位置し、テルペニア湾に注ぐポロナイ川の河口付近に開けた都市である. ユジノサハリンスクから北へ約288キロメートル、北緯49.216667度、東経143.116667度に位置する. ポロナイスク地区の行政上の中心地である. 人口は、15,251人 (2014年推計).
1869年、ロシアが、この地域のニヴフ民族、アイヌ民族が暮らす集落(オタス)に隣接して、チフムネフスキー監視所 (露:пост Тихменевский) を建設したのが、この町の始まりである. 1905年、ポーツマス条約により南樺太が日本に割譲されると、「敷香」という名前に改称された. 1945年、ソ連に占領された後、ポロナイ川にちなんで「ポロナイスク」に改名された. 1972年、北海道北見市と提携を結び、その友好都市となった.
NHKラジオ第2放送の気象通報でも以前は「敷香」と呼ばれていたが、現在は「ポロナイスク」となった. テルペニヤ湾(多来加湾)に面しており、街の東の原野にネフスコエ湖 (Озеро Невское) (多来加湖)がある. 日本領有下においては国境に位置したことから軍事上重要な地域とみなされており、現在も旧国境付近に築かれたトーチカ等を初めとする戦争遺跡が各地に見られる.
なお、「ポロナイスク」の「ポロナイ」はアイヌ語由来によるもので、日本にある地名「幌内」とほぼ同じ意味である.
日本統治時代の敷香は横綱大鵬の出身地でもあり、2014年には市内に銅像が建てられた.